2026年8月16日のTBS「サンデーモーニング」で、歌手の加藤登紀子が北方領土についてこう述べました。
「やはり現在北方領土はロシアが領有されているもの」
この発言はネットで大きく批判されました。ただ、この記事が問題にしたいのは、そこではありません。
加藤は続けてこうも言っています。
「その戦争の最後の段階で、北方領土はいったんロシアの領有…当時はソ連ですけど、なっているということに対して一定の客観的判断は必要だと思うんですね」
ここが、外務省の記録と食い違います。
ソ連が北方四島の占領を始めたのは、1945年8月28日です。日本がポツダム宣言を受諾したのは8月14日、玉音放送は8月15日でした。
戦争の最後の段階ではありません。終戦の13日後です。
まず、1945年8月に何が起きたのかを日付で見てください。
赤い2点が、加藤の言う「戦争の最後の段階」に当たる部分です。どちらも、日本が降伏を決めたあとに起きています。
以下、放送で何があったのか、そして北方領土の歴史がどうなっているのかを、順に確認します。
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プーチンが択捉島に降り立った3日後の放送だった
まず、この放送に至るまでの流れです。
2026年8月13日、ロシアのプーチン大統領が択捉島を訪問しました。ロシアの現職大統領による北方領土訪問は、これが初めてです。
プーチンは択捉島のヤスニ水産加工工場を視察し、マグロやオヒョウの水揚げと加工ラインを見て回りました。地元産の魚卵を試食し、島内の病院や学校も回っています。
高市首相は同じ日に会見を開いた
報告を受けた高市早苗首相は、13日のうちに記者会見を開きました。首相官邸が公開している会見記録から引用します。
2024年1月にプーチン大統領が北方領土を必ず訪問する旨を述べて以来、日本政府としては、ロシア側に対して、大統領による北方領土訪問が行われないよう、累次申し入れてまいりました。
それにもかかわらず、本日、プーチン大統領が択捉島を訪問したことに、強く抗議をいたします。
北方領土は、歴史的にも国際法上も我が国固有の領土であります。ロシアの現職の大統領による今般の択捉島訪問は、北方領土に関する日本の一貫した立場と相容れません。
また、日本国民の感情を傷つけるものであり、断じて許容できません。
── 高市早苗首相(2026年8月13日・首相官邸の会見記録より)
同じ日、外務大臣も抗議のメッセージを出しています。
択捉島を含む北方四島は、歴史的にも国際法上も我が国固有の領土であり、日本国として今回の訪問について強く抗議します。
── 外務大臣メッセージ(令和8年8月13日・外務省サイトより全文)
この3日後が、8月16日の放送です。
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放送で何が言われたか
番組はプーチンの択捉島訪問を取り上げ、日本がエネルギー調達の一部をロシアに頼るなど関係改善を進めていたこと、そのなかでの訪問だったことを伝えました。
元外務事務次官は「断じて許容できない」と述べた
コメンテーターとして出演していた藪中三十二(元外務事務次官)は、こう述べています。
「高市総理が言われたように、断じて許容できない」
そのうえで司会の膳場貴子アナウンサーが、加藤登紀子にこう水を向けました。
「加藤さんは、何を感じましたか?」
加藤登紀子の発言(全文)
加藤は「知床旅情」を歌ってきたことから北方領土の近さを感じている、と前置きしたうえで、こう答えました。
今、「北方領土に対して日本の要求は当然」とおっしゃったんですけど、私色々調べましたが、やはり現在北方領土はロシアが領有されているものなので。そこにプーチンが行くことに直接抗議できる立場に……まあ交渉、交渉中であるというのが日本の概念ですけど、ロシア側はそうではないわけなんで。
やっぱり、ちょうどこの時期、今戦争が終わって敗戦81年ですけど。その戦争の最後の段階で、北方領土はいったんロシアの領有…当時はソ連ですけど、なっているということに対して一定の客観的判断は必要だと思うんですね
── 加藤登紀子(2026年8月16日放送・J-CASTニュースの書き起こしより)
そのうえで加藤は、「現実に求められているのは、領土ではなくて平和なんですよ」「こんなことのために、それがもっと難しくなっていくのは私も苦しいですね」と続けています。
ここは、加藤の主張として正確に書いておきます。領土より平和を優先すべきだ、という意見そのものは、意見として成り立ちます。この記事はそこを否定しません。
問題は、その意見の土台に置かれた事実のほうです。
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「戦争の最後の段階」ではなかった
外務省が公開している「北方領土問題の経緯」には、こう書かれています。
当時まだ有効であった日ソ中立条約を無視して1945年8月9日に対日参戦したソ連は、日本のポツダム宣言受諾後も攻撃を続け、同8月28日から遅くとも9月5日までの間に、北方四島を占領しました(なお、これら四島の占領の際、日本軍は抵抗せず、占領は完全に無血で行われました)。
── 外務省「北方領土問題の経緯(領土問題の発生まで)」
日付を並べます。
| 日付 | 何があったか |
|---|---|
| 1945年8月9日 | ソ連が対日参戦。日ソ中立条約はまだ有効だった |
| 8月14日 | 日本がポツダム宣言を受諾 |
| 8月15日 | 玉音放送 |
| 8月28日 | ソ連軍が北方四島の占領を開始。玉音放送の13日後 |
| 9月2日 | 降伏文書に調印 |
| 9月5日 | 遅くともこの日までに四島の占領が完了。降伏文書調印の3日後 |
戦闘があったわけでもない
もう一点、外務省の記述で見落とされやすい部分があります。
「これら四島の占領の際、日本軍は抵抗せず、占領は完全に無血で行われました」
つまり、四島は戦闘で奪われたのではありません。すでに武器を置いた相手のところに、部隊が入っていったということです。
「戦争の最後の段階で領有が移った」という言い方は、この2点をどちらも落としています。
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日ソ中立条約は、まだ1年近く残っていた
もう一つ、加藤の発言では触れられていない前提があります。
ソ連が参戦した1945年8月9日の時点で、日ソ中立条約は有効でした。
外務省の注記によれば、日ソ中立条約は1941年4月に結ばれ、有効期限は5年、1946年4月まで有効でした。期間満了の1年前に破棄を通告しなければ自動的に5年延長される、という規定があり、ソ連は1945年4月に「延長しない」と通告しています。
延長しないという通告は、直ちに条約を切ることではありません。通告しても、期限までは効いています。つまり参戦の時点で、条約はあと8か月残っていました。
ソ連自身が「領土は増やさない」と表明していた
時期をもう少し戻すと、別の事実が出てきます。
1941年8月、米英の首脳が大西洋憲章に署名しました。第二次世界大戦における連合国側の指導原則で、戦争によって領土の拡張は求めないという方針を示したものです。
外務省の記述によれば、ソ連は同じ年の9月に、この憲章への参加を表明しています。
1943年11月のカイロ宣言も、この方針を確認したうえで、「暴力及び貪欲により日本国が略取した」地域から日本は追い出されなければならないと宣言しました。
外務省は「北方四島がここで言う『日本国が略取した』地域に当たらないことは、歴史的経緯にかんがみても明白です」としています。
なぜそう言えるのか。次の章がその答えになります。
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この国境は、戦争ではなく話し合いで決まった
北方四島の国境がどう決まったのかを見ます。ここが、他の領土問題といちばん違う点です。
1855年 日魯通好条約
外務省の記述を引きます。
日本は、ロシアに先んじて北方領土を発見・調査し、遅くとも19世紀初めには四島の実効的支配を確立しました。19世紀前半には、ロシア側も自国領土の南限をウルップ島(択捉島のすぐ北にある島)と認識していました。日露両国は、1855年、日魯通好条約において、当時自然に成立していた択捉島とウルップ島の間の両国国境をそのまま確認しました。
── 外務省「北方領土問題の経緯(領土問題の発生まで)」
読み飛ばしやすいところですが、重要です。
この国境は、戦争で線を引き直したものではありません。すでにできあがっていた境目を、両国が文書で確認しただけです。しかもロシア側も、自国の南限はウルップ島だと考えていました。
取ったのでも取られたのでもなく、もともとそうだった線を、双方が認めた——それが1855年です。
1875年 樺太千島交換条約
次に日本は、千島列島をロシアから譲り受けるかわりに、樺太全島を放棄しました。
ここで大事なのは、この条約が「千島列島」の中身を島の名前で列挙していることです。
外務省の説明では、この条約でいう千島列島とはシュムシュ島(千島列島最北の島)からウルップ島までの18島を指します。
1905年 ポーツマス条約
日露戦争後のポーツマス条約で、日本はロシアから樺太の北緯50度以南を譲り受けました。
この記事の主題である北方四島は、ここには関係ありません。四島は日露戦争の前から日本領で、戦争の結果として得たものではないからです。
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日本が放棄したのは「千島列島」で、四島ではない
1951年9月、サンフランシスコ平和条約が結ばれます。
日本はこの条約で、ポーツマス条約で得た樺太の一部と、千島列島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄しました。
ここから、2つのことが導かれます。
1つ目|北方四島は「千島列島」ではない
外務省の記述はこうです。
「しかし、そもそも北方四島は千島列島の中に含まれません」
根拠は前の章です。1875年の条約が「千島列島」として列挙したのはシュムシュ島からウルップ島までの18島であり、択捉島から南は入っていません。
2つ目|ソ連はこの条約に署名していない
こちらは、より単純です。
「また、ソ連は、サンフランシスコ平和条約には署名しておらず、同条約上の権利を主張することはできません」
日本が千島列島を放棄したのは事実です。ただし、放棄されたものを受け取る権利を、署名していない国が条約から得ることはできません。
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1956年、ソ連は「引き渡す」と文書に書いた
ここまでは日本側の主張の根拠です。次は、ソ連・ロシア側が何に署名してきたかを見ます。
日ソ共同宣言(1956年)
1956年、日ソ間で領土問題の全面的な決着はつきませんでした。そこで平和条約に代えて、戦争状態の終了と外交関係の回復などを定めた日ソ共同宣言に署名します。
この宣言には、こう書かれています。
歯舞群島及び色丹島については、平和条約の締結後、日本に引き渡すことにつき同意した。
ソ連自身が署名した文書に、2島を日本に引き渡すと明記されているということです。
ソ連は4年後に条件を付け足した
ところが1960年、ソ連は対日覚書を出し、「日本領土からの全外国軍隊の撤退」という新しい条件を一方的に付けました。
日本側は、国際約束である日ソ共同宣言の内容を一方的に変更することはできない、と反論しています。
その後の主な文書
| 年 | 何が確認されたか |
|---|---|
| 1973年 | 田中総理の訪ソ。ブレジネフ書記長が、四島の問題が戦後未解決の諸問題に含まれることを口頭で確認 |
| それ以降 | ソ連は長い間「領土問題は存在しない」という態度を取った |
| 1991年 | ゴルバチョフ大統領の訪日。ソ連側が四島の名前を具体的に書き、領土画定の問題の存在を初めて文書で認めた |
| 1993年 | 東京宣言。四島の帰属に関する問題と位置づけ、法と正義の原則を基礎に解決すると明記 |
| 2000年 | プーチン大統領が「56年宣言は有効であると考える」と発言 |
| 2001年 | イルクーツク声明。56年宣言を交渉の出発点と位置づけ、その法的有効性を文書で確認 |
| 2018年 | シンガポールでの首脳会談。「1956年宣言を基礎として平和条約交渉を加速させる」ことで合意 |
並べて分かるのは、ロシア側が「領土問題は存在しない」と言った時期と、「56年宣言は有効だ」と言った時期の両方があるということです。
プーチン自身も2000年に有効だと述べ、2001年には文書で確認しています。
その同じ大統領が、2026年8月13日に択捉島に降り立ちました。
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ロシア側は、何を根拠にしているのか
ここまで日本側の根拠だけを並べてきました。反対側の材料も出します。
ロシアが自国領だと主張するとき、その土台になっているのは主に2つです。
1つ目|ヤルタ協定(1945年2月11日)
ドイツ降伏の3か月前、クリミア半島のヤルタで、米国のルーズベルト大統領、英国のチャーチル首相、ソ連のスターリン書記長が会談しました。
ここで交わされた秘密の合意に、「千島列島は、ソヴィエト連邦に引き渡す」という一文があります。ソ連の対日参戦の見返りでした。
ロシア側の主張は、この一文を土台にしています。連合国の3首脳が決めたことであり、その結果として自国領になった、という理屈です。
日本政府の反論は2点です。
第一に、日本はこの協定に参加していません。内閣官房・外務省はいずれも、日本はヤルタ協定の当事国ではなく、いかなる意味においてもこれに拘束されることはないという立場を示しています。
第二に、ヤルタ協定は連合国の首脳が戦後処理の方針を述べたものであって、領土の移転そのものを実行する文書ではありません。外務省は、当時の連合国首脳の間で戦後の処理方針を述べたに過ぎない、と説明しています。
そして、ここでも前の章の問題が戻ってきます。ヤルタ協定にあるのは「千島列島」という語です。その千島列島が、条約上はシュムシュ島からウルップ島までの18島を指す——というのが、日本側の主張です。
2つ目|第二次世界大戦の結果である、という主張
もう一つは、より単純な主張です。大戦の結果として国際的に確定した領土であり、議論の対象ではない、というものです。
これは、ソ連が長く取ってきた「領土問題は存在しない」という態度と同じ系統にあります。
ただし前の章で見たとおり、ソ連・ロシア自身がその態度を貫いてきたわけではありません。1956年に2島の引き渡しを文書で約束し、1991年に問題の存在を文書で認め、2001年には1956年宣言の法的有効性を文書で確認しています。
2022年、交渉そのものが止まった
現在の状況も書いておきます。
2022年3月21日、ロシア外務省は、北方領土問題を含む日本との平和条約締結交渉を中断すると発表しました。ビザなし交流と元島民の自由訪問の停止、共同経済活動からの撤退も同時に表明しています。
理由は、ウクライナ侵攻を受けた日本の対露制裁への参加でした。
当時の岸田文雄首相は「全てウクライナ侵略に起因している」「極めて不当で断じて受け入れることはできない」と反発しています。
つまり、加藤が「交渉中であるというのが日本の概念ですけど、ロシア側はそうではない」と述べた部分は、現状の説明としては正確です。ロシアは実際に交渉を止めています。
ただし、それはロシアが一方的に止めたからであって、帰属が決まったからではありません。交渉が止まっていることと、領土の帰属が確定したことは、別の話です。
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「実効支配」と「領有」は、何が違うのか
放送に戻ります。
加藤の発言の直後、駒田健吾アナウンサーがこう入りました。
加藤さんが「領有」という言葉をお使いになりましたけど、正しくは藪中さんのおっしゃる実効支配しているという形ですよね
── 駒田健吾アナウンサー(2026年8月16日放送・J-CASTニュースの書き起こしより)
この言い換えは、単なる言葉づかいの問題ではありません。
2つの語は、正反対のことを含んでいる
| 語 | 意味するもの |
|---|---|
| 領有 | そこが正当に自国の領土であるということ。争いは終わっている |
| 実効支配 | 現に支配しているが、帰属は決まっていないということ。争いは続いている |
日本政府が使うのは後者です。実効支配していることは認めたうえで、帰属は未解決だという立場だからです。
だから「ロシアが領有している」と言った瞬間に、交渉の対象がなくなります。抗議する根拠も、1956年の引き渡しの約束も、そこに乗る土台を失います。
加藤が「そこにプーチンが行くことに直接抗議できる立場に……」と続けたのは、この帰結を自分で述べたものです。
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番組は、どう処理したか
訂正が入ったこと自体は事実です。駒田アナは、その場ですぐに言い換えを入れました。そこは記録しておきます。
ただし、そのあとの流れは、こうなりました。
加藤本人からの訂正はなかった
J-CASTニュースによれば、加藤からは「ロシアが領有」発言について、何らかの弁明もありませんでした。
司会は別の話題で締めた
膳場アナは、こう締めくくっています。
でも、おっしゃるとおりに、政治関係は悪化しても、個人レベルであるとか民間レベルの交流というのは、大切にしていきたいですね
── 膳場貴子アナウンサー(2026年8月16日放送・J-CASTニュースの書き起こしより)
「おっしゃるとおりに」で受けています。直前に自局のアナウンサーが事実関係の訂正を入れた発言を、そのまま肯定して番組を進めた形です。
TBSの回答
J-CASTニュースは、TBSに取材しています。同局の広報室は2026年8月17日、こう答えました。
加藤登紀子氏の「領有」との表現につきましては、直後に番組キャスターのTBSアナウンサーより「正しくは実効支配」と訂正しております
── TBS広報室(2026年8月17日・J-CASTニュースの取材に対して)
コメンテーターとして起用した妥当性や、今後も起用を続けるのかについては、「コメンテーターの起用予定については従来よりお答えしておりません」とするにとどめています。
訂正されなかったほうが残っている
ここが、この記事のいちばん言いたいところです。
訂正されたのは「領有」という語だけです。
「戦争の最後の段階で」という部分は、訂正されていません。番組内で誰も触れず、TBSの回答でも触れられていません。
語の間違いは直り、日付の間違いは残ったということです。
そして日付のほうが、この問題では重い。戦闘中に取られたのか、降伏したあとに入ってこられたのか。そこが変われば、話の性質そのものが変わるからです。
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加藤登紀子とロシアの関わり
公平のために、発言の背景も書きます。
加藤の公式サイトなどによれば、生まれは旧満州(中国東北部)のハルビンです。ハルビンは帝政ロシアが築いたとされる街で、加藤はロシアの文化になじんだ父親の影響を受けたとされています。
1968年には初の海外公演としてソ連を訪問しました。旧ソ連で大ヒットした「百万本のバラ」を自ら日本語に訳して1987年に発表し、長く歌い続けています。
ロシアとの縁が深い人物であることは、それ自体が非難されることではありません。むしろ、そうした人が「領土ではなく平和を」と言うことには、その人なりの重みがあります。
この記事が問うているのは、その主張を支える事実のほうが正確だったかという一点だけです。
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これから確認できる日付
| 時期 | 確認できること |
|---|---|
| 次回以降の放送 | 番組が「戦争の最後の段階で」の部分に触れるかどうか |
| 今後 | 加藤登紀子が同番組に引き続き起用されるかどうか(TBSは回答していない) |
| 今後 | BPO(放送倫理・番組向上機構)に申し立てが行われるかどうか |
| 今後 | 日本政府がロシアに対して抗議以外の措置を取るかどうか(高市首相は「政府内でしっかりと検討いたします」と述べた) |
| 2027年2月7日 | 北方領土の日。1855年の日魯通好条約の調印日にちなむ |
最後の行を書いておきたかったので、付け足します。
「北方領土の日」の由来は、戦争の日ではありません。1855年に、戦争によらずに国境を確認した日です。
その日を記念日に選んでいること自体が、日本側の立場を示しています。
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この記事で使った資料と、その確度
★が低いから使わない、という意味ではありません。★2でも、用途を限定すれば材料になります。何に使い、何に使わなかったかを書いています。
| 確度 | 媒体 | 資料 | 評価の理由 |
|---|---|---|---|
| ★5 | 外務省(公式) | 北方領土問題の経緯(領土問題の発生まで) | この記事の骨格。8月28日〜9月5日の占領、無血であったこと、日ソ中立条約の有効期限、千島列島=18島、四島は千島に含まれないこと、ソ連が署名していないこと——すべてこのページの記載をそのまま引いている |
| ★5 | 外務省(公式) | 日ソ・日露間の平和条約締結交渉 | 1956年宣言から2018年のシンガポール合意までの年表の出所。プーチンの「56年宣言は有効」発言(2000年)も同ページの記載による |
| ★5 | 首相官邸(公式) | プーチン・ロシア大統領による択捉島訪問についての会見 | 高市首相の発言は、この会見記録の全文から引いている。報道の要約ではなく一次資料なので、鉤括弧で引用できる |
| ★5 | 外務省(公式) | ロシア大統領の択捉島訪問について(外務大臣メッセージ) | 令和8年8月13日付。短い文書なので全文を確認して引いた |
| ★4 | J-CASTニュース | 「北方領土はロシア領有」加藤登紀子さんサンモニで発言 | 放送内容の書き起こしと、TBSへの取材。加藤・藪中・駒田・膳場の発言はすべてこの記事の日本語の書き起こしから引いた。TBS広報室の回答を自社で取っている点で、まとめ記事とは別格。ただし放送そのものは確認していない |
| ★5 | 内閣官房・内閣府(公式) | 領土問題の発生(領土・主権対策企画調整室)/国際的取決め(北方対策本部) | ヤルタ協定の内容と、日本が拘束されないとする根拠。反対側の主張を紹介する章で使ったので、日本政府の見解であることを本文に明示している |
| ★3 | 東京新聞・日本経済新聞 | ロシアが平和条約交渉の中断を発表(2022年3月)/ビザなし交流を一方的に破棄 | 2022年3月21日の交渉中断の事実関係。ロシア外務省の声明の要旨と、当時の岸田首相の反応にのみ使った |
| ★3 | 時事通信・北海道新聞 | プーチン大統領、北方領土初訪問/プーチン大統領、北方領土・択捉島を初訪問 | 訪問の事実関係と、水産加工工場の視察などの中身。ロシア側の意図に関する解説部分は使っていない |
| ★2 | 東スポWEB・日刊スポーツ | 加藤登紀子が「サンモニ」で「北方領土はロシアの領土」発言 | J-CASTの書き起こしと食い違いがないかの照合にだけ使った。本文の引用はJ-CAST側を採っている |
この記事で埋まらなかったもの
放送そのものを確認していません。発言はJ-CASTニュースの書き起こしによるもので、前後の文脈が完全に再現されているかは確かめられていません。ただし東スポ・日刊スポーツの記事とも内容に食い違いがないことは確認しました。
加藤登紀子本人が、その後に説明や補足をしたかどうかも確認できていません。本人の公式サイトやSNSでの言及は、この記事の執筆時点では見つかっていません。
「戦争の最後の段階」という表現について、加藤がどの時点を指していたのかは分かりません。ソ連の対日参戦(8月9日)を指していた可能性はあります。ただしその場合でも、四島の占領が始まったのは8月28日という事実は変わりません。
関連(当サイト既報)
メディアの発言を実名で検証した記事は、当サイトで継続して出しています。



