目次
「辺野古しかない」は誰が作ったのか──鳩山政権を包囲した官僚機構の“静かな謀反”
2009年の政権交代は、日本政治における“戦後体制の揺り戻し”だった。
長年続いた自民党政権を打倒し、国民が初めて本気で「政治主導」に期待を託した瞬間。
官僚依存の政治文化を打破しようとする空気が、永田町にも国民にもあった。
だがその希望は、わずか9カ月で潰える。
鳩山由紀夫政権の挫折は「普天間問題に失敗した」と総括されがちだが、
本質は違う。
それは日本国家の中枢に巣くう、官僚機構による“静かなクーデター”だった。
本稿では、実名を控えながらも、当時の外務・防衛の事務次官級が果たした
決定的な役割を軸に、「なぜ首相が官僚に勝てなかったのか」を検証する。
SACO最終報告から始まる官僚的レール
1995年の沖縄少女暴行事件を受け、日米両政府は「沖縄に関する特別行動委員会(SACO)」を設置。
翌年「普天間返還」を条件付きで合意した。
条件とは「沖縄本島内に代替施設を建設すること」。
この一文が、その後20年以上の政策の枠を固定する“呪文”となった。
「沖縄の負担軽減」を掲げながら、実態は「米軍の運用維持」。
これを設計したのは外務・防衛の高級官僚たちだった。
彼らは“現実的選択”という名のもとに、県外移設を最初から外していた。
こうして「県内移設」は事実上の前提となり、政治が変わっても動かせない“構造的既成事実”となる。
この時点で、官僚機構は政策の土台を政治より先に築いてしまっていた。
2006年ロードマップ──「政治を縛る文書」の誕生
2006年5月、日米安全保障協議委員会(2+2)は
「在日米軍再編ロードマップ」を発表。
普天間の代替施設として「キャンプ・シュワブ沿岸部(辺野古)」が正式に記された。
外務省と防衛庁の実務トップたちは、
この文書を“不可逆の合意”として扱った。
以後、彼らはこの文書を盾に、
どの政権が来ようと「辺野古以外は同盟破壊」と主張できる構造を作った。
外務省
薮中 三十二
2008年1月17日〜2010年8月20日
鳩山政権期に普天間/移設問題をめぐる実務交渉を統括したトップ。65海里文書問題などで「外務省実務責任者」の一人として名前が報道されている。
防衛省
中江 公人
2009年〜2012年(防衛事務次官)
普天間移設問題の防衛省側実務責任者のひとりとされており、「既定案遂行」の実務に深く関与。
防衛省
守屋 武昌
2003〜2007年防衛事務次官
鳩山政権より少し前だが、普天間移設・辺野古案の形成期に深く関与しており、実務構造を把握する上で理解すべきキーパーソン。
政治より先に官僚が国際的拘束力を設計する。
この歪んだ力学こそ、のちに鳩山政権を窒息させる「見えない鎖」だった。
鳩山政権の出現──理想と現実の衝突
2009年、民主党が大勝し、国民は「政治が官僚を動かす」時代の到来を信じた。
鳩山首相の掲げた「最低でも県外」は、まさにその象徴だった。
しかし、霞が関は即座に反応する。
外務・防衛の幹部たちは、首相官邸に次々と“現実的資料”を持ち込み、
「米側は激怒している」「合意破棄は同盟崩壊」と伝えた。
だが、それは本当に米国の意向だったのか?
後に明らかになるが、多くの情報は日本側の官僚が作り出した“外圧の物語”に過ぎなかった。
官僚の謀反──四つの情報操作
「国際約束」という盾
彼らは2006年ロードマップを“国際合意”と呼び、
政治が見直そうとすると「外交信義に反する」と脅した。
だがその文書は、日本の官僚が草案を書き、自ら署名したものである。
つまり、彼らは自分たちの決定を外圧に偽装し、政治を縛った。
「同盟のため」と言いながら、実際には自らの省益と既定路線を守るための盾だった。
「米激怒」演出のリーク
2009年12月、米国務長官と日本大使の会談が「異例の呼び出し」と報道された。
外務省筋は「米側が強い不満を表明」と各社にリーク。
その瞬間、鳩山政権の信頼は急落する。
しかし後に米側資料が公開されると、
会談は日本側の要請で行われた可能性が高いことが分かった。
「米激怒」は演出に過ぎなかった。
虚構の「65海里文書」
徳之島などの県外案を検討中、外務・防衛の合同会合で
「米軍マニュアルではヘリ部隊と訓練地は65カイリ以内」とする“極秘ペーパー”が示された。
それを信じた首相は県外を断念したが、後にそのマニュアルは存在しないことが判明。
米側関係者も「聞いたことがない」と証言している。
この“科学的根拠”の創作に関与したのは、
官僚の中間層と、それを黙認したトップ層。
政治を欺くための専門知の悪用である。
翻訳で作られた「オバマも辺野古」
2010年4月の会見で、オバマ大統領は
「Futenma relocation(普天間移設)」と述べたが、
「Henoko」という単語は使っていなかった。
それにもかかわらず、日本のメディアでは
「オバマ、辺野古移設を確認」と報じられた。
外務省の和訳要約がその印象を作り出したのだ。
こうして、翻訳というわずかな操作が、
「米国も辺野古支持」という“事実”を生み出した。
屈服の共同声明──政治が囲い込まれた日
2010年5月28日、日米共同声明で「辺野古崎周辺」が再確認される。
首相は「やはり辺野古しかない」と語った。
だが、米国に押されたのではない。
官邸内部で政策をコントロールしたのは国内の官僚機構だった。
外務・防衛の上層部は、スケジュール、文書、通訳、報道レクまで握り、
政権を自らの手で“誘導”した。
それは暴力なきクーデター。
日本政治史における最大の官僚による謀反だった。
官僚機構という国家装置
外圧を自作する国家
日本の官僚は「外圧」を自ら作り出す。
米国の意向を装いながら、国内政策を自分たちの望む方向に導く。
この構造は戦後の「対米従属」を超え、実質的には官僚による対政治支配に近い。
専門知の壁と政治の無力化
防衛や外交の専門知は限られた人間しか理解できない。
その情報格差こそが官僚権力の源泉である。
政治家が誤った情報を疑う術を持たない限り、
官僚は“現実”を自在に書き換えることができる。
責任を政治に押し付けるシステム
政策を設計したのは官僚だが、失敗の責任は政治家に集中する。
メディアは「鳩山の迷走」と報じ、官僚は沈黙したまま次の政権へと業務を引き継ぐ。
この構造は今も変わっていない。
構造の持続──岸田政権との対比
2020年代の現在も、官僚主導の構造は続いている。
辺野古建設は既定路線として動き続け、政府答弁では
「粛々と進める」という言葉が繰り返される。
岸田政権下でも、防衛・外務の意思決定過程は
依然として省庁中心であり、政治家の裁量は限定的だ。
鳩山政権で露呈した構造的支配は、
むしろより洗練された形で温存されている。
つまり、鳩山の敗北は個人の問題ではなかった。
それは日本政治全体が官僚機構という「国家内部の国家」に
統治を委ねてしまった歴史的事実である。
沈黙のクーデター──未完の民主主義
辺野古問題とは、軍事でも外交でもなく、
国内の統治構造そのものの物語だ。
官僚は一発の銃弾も撃たず、文書と情報で政治を倒した。
そして現在も、国会の外ではなく内側で、
静かなクーデターが続いている。
「総理、これが現実です」
その一言が、民主主義の歯車を止めた。
主権者である国民が沈黙を選ぶかぎり、
この国の政治は、永遠に「現実」という名の官僚統治の中に閉じ込められる。
──問われているのは、いまも同じだ。
この国を動かしているのは誰なのか?
